LOGIN「街の様子はどうだ?」
こう聞くと、兵士は『王子の成人を祝う町民たちで賑わっていますが、今のところ怪しい動きはなさそうです』と返してくる。記憶のなかにある声と、後ろから聞こえる声が重なって聞こえた。
「了解した。では、引き続き王子の警護を頼む」
「了解。しかし、アールグレン様はどこへ?」
「私は、一つ心当たりがあるのでな。では、失礼」
兵士は兜の下からきょとんとした顔をのぞかせたが、すぐに元の配置へと向かった。それを見届けてから私は小走りでとある場所へと向かう。
一度見た光景が同じようにくり返される。理由はわからない。だけど、今は「賊」をとらえるのが先決。
混乱する頭を落ち着かせ、私は地下へと降りていった。
*
成人の儀の喧騒とは打って変わって静寂に包まれた薄暗い階段を降りていく。足音はわざと革靴の音を立てていた。靴の音に怖気づき逃げていくならそれでいい。もちろん、私の思い過ごしであるならばそれにこしたことはない。賊は一人も現れず、王子の成人は平和に和やかに国中の皆に祝福された。最も素晴らしい理想的な形だ。
だが、今日は王子がいよいよ公職に就かれる成人の儀。国に異を唱える者にとっては、王子を襲撃し、国の威信をおとしめる絶好の機会となる。
──なんて初仕事だから、格好つけて思っていたら本当にいたんだよね、賊が。
「看守長! 見回りだ!」
牢屋への扉が近付いたので、私はわざと大声を張り上げた。記憶と違ってくれと願いながら。
でも。やっぱり返事はない。つまり──。
なかから斧が飛んでくる音が聞こえて、後ろへ跳んだ。目の前の扉が赤く燃え、次の瞬間には縦に真っ二つに割れた扉を壊しながら、見たことのある大男が姿を現した。
「あん? バレたかと思ったらオネエチャン一人か? 何しに来た?」
うーまずい。非常にまずい。記憶の通りの品のない台詞を聞かされている。
状況を呑み込めずに黙っていたからか、大男はにやりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「怖い顔してるが、なかなかの美人だな。女だてらに剣か。全身の服、ひん剥いてやるよ」
これは、記憶にない台詞だ。よかった。まったく予定調和のように進むわけではないらしい。
「どうした? ビビってんのか? まあ、大人しくしとけば痛い目にはあわさねぇ。あとでたっぷりかわいがってや──」
素早く切り込むと、男が最後まで言い切る前に頭を叩いた。冷たい地面に、大男が倒れこむ。
「私の名前はティナ・アールグレン。王子の秘書官だ。私への侮辱は、そのまま国への侮辱にあたると思え」
冷たい風に当たって頭は冷えた。まずは、賊をこの場から蹴散らす。
王子は驚いていた。瞳が丸くなり、口が開いたまま。そんな王子に向かって秘書官になって初めてだろう微笑みを向ける。王子がいつもそうしてくれていたように。「意外にもあっさりと決めたな。もっと抵抗するものとばかり思っていたが」 男はいぶかしむように目を細める。簡単に信頼するはずもないが。「王子の命が何より優先される。私一人でどうにかなるなら考える余地もない」「ダメだ──ダメだティナ! そんなことは許されない!」 王子……。声を荒げてくれるその優しさがこんなときに愛しく感じてしまう。「咎人の血が流れてることを気にしているのか? 僕はずっと知っていた! 君が何者なのか、君があのとき一緒に過ごしたティナだと、僕は最初から知っていたんだ! だから君を選んだ。ティナがティナだと気づいていたから──」「王子。……もう、決めたことです」 王子は……知っておられた。子どものときに会った記憶を覚えておられた。だけど。「王子を救うにはこの方法しかありません。私は、王子の秘書官として任務を全うし、そして今このとき秘書官の任を降ります」 王子の瞳が真っ直ぐに私を見る。王子がいてくれてよかった。ここまで頑張ってきてよかった。王子の傍にいられてよかった。私の目指した道は間違えていなかった。だから。 唇が震える。本音を話すのがこんなにも苦しいことなのか。フリーダが言っていた通り、私は随分と長い間自分の本心を閉じ込めていたのかもしれない。「だから、王子──」 声も震えているのがわかる。でも、意志を曲げるわけにはいかない。ここで涙を落とすことはできない。
手から銀の剣が落ちていく。カランカラン、と地面に当たった音がした。 神に祝福されたと思ったのに。運命から逃れられると思ったのに。巡り巡ってまた呪われた運命は、最悪なタイミングでやって来た。 無精髭を生やした咎人は、何も言えないでいる私の態度に満足したのかその笑みをさらに広げた。「最初はな、あの場で王子をさらおうと思っていたんだ。ベルテーンの城下町でたいした護衛もつけずに歩いているところをな。神の紋章の一つ、太陽の紋章を授かったばかりの王子をさらえばいい交渉ができそうだろう。場合によっては、月の国──終わりの盾の国に渡したっていい」 全身が震えているのがわかる。顔を上げられない。王子の顔を、綺麗な碧の瞳を見ることができない。「だけど、お前が現れて気が変わった。王子の秘書官などと大層な肩書だが、お前の血には咎人の血が流れている。そうだろ?」 ティナ・アールグレン! 剣を拾え! 動け! 頭を回せ! 王子が──王子が待ってる。助けなきゃいけない。王子を守るために嘘をつき通してまでここまで来た! ……はずなのに。「母親を殺したとき、お前は弱かった。守ろうとすることも歯向かうこともできないほどにな。だから捨て置いたのだが、予想外にお前は強くなっていた。今のお前の力は、我ら神に見捨てられた咎人のために使うべきだ。この世界を変えるためにな」「あ……あっ……」 息がうまく吸えない。頭に痛みが走り、ぐるぐると視界が回る。父が倒れ、母が刺され、血が流れるあの夜の記憶が何度も何度も頭の中で回り続ける。「来い。ティナ・アールグレン。忘れたのか? お前は我々と同じ、人の創るこの世界に居場所などないただの咎人だ」 …
これが戦場ならば血なまぐさい臭いに鼻が曲がっていたことだろう。 もう何十体かわからないほどに沸くフォヴォラを両断しながら、ひたすら真っ直ぐに進み続ける。洞窟はまだ掘られたばかりなのか、途中に分かれ道などはなく、迷うことなく王子がいるであろう最奥へと向かっていけている。 また、幸いなことに街で襲ってきたような、あるいは宮殿を襲ったような大型のフォヴォラも出現せず、野生動物に毛が生えた程度の影しか出てきていない。 光がある以上、影はある。だから咎人は無限にフォヴォラを創り出すことができるのだろうか。この能力が神の力だとするならば、その可能性だって十分にある。 突然、地面から飛び出るように姿を現した黒い影をわけもなく斬り捨てる。と、ほのかに揺れる灯りが見えてきた。 王子! 罠かもしれない。いや、十中八九罠だろう。それでもその灯りの方へ私の足は止まることがなかった。 灯りの下へ足を踏み入れると眩い光に襲われ目が眩んだ。鈍く光る黒い光だ。 寒気がするような禍々しい光が消えると、今までいなかったはずのフォヴォラの姿があった。 人よりも二回りほど大きな、毛むくじゃらの巨人。それが大木のような太い腕を振り上げる。そのまま押し潰すつもりだろうが、振り下ろされる前に二本の腕は切り落とされ、次の瞬間には首がはねられていた。 着地。と、同時に拍手の音が聞こえた。音がする洞窟の奥を見れば上半身を縄で縛られた王子が固い地面に横たわっていた。「王子っ! 今! 助けます!」「ダメだ! 来るなティナ!」 駆け出そうとしたそのときだった。一人の男が灯りの当たらない暗がりから、まるで暗闇が分離したように静かに姿を現した。
地を蹴り、空を舞い、視界に入ったフォヴォラを王からもらった銀の剣で次々に斬っていく。息はとっくに乱れて心臓がうるさいくらいに早鐘を打っているが、疲れるどころか指の先から足の先まで力が張り巡らされているように体は軽かった。 でも、心は次へ次へと急いでいた。頭の片隅ではあの光景がずっと続いている。今は、1秒でも早く王子の捕われた場所を見つけなければいけない。 今こそ冷静になれ、ティナ。何も考えなくていい。やることはと言えば敵の殲滅。そのためにするべきなのは剣を振るい、目の前の怪物をただただ消していくことだけ。 醜い豚のようなフォヴォラが列をなして向かってくる。「契約」の言葉を述べて強化した力で剣を横薙ぎにすると、一陣の風が撫でるようにフォヴォラの体を真っ二つにしていった。「あそこだ」 開けた視界の先──梯子をいくつか上った先にある洞穴から、新たに何体かのフォヴォラが出現した。おそらくは鉱山夫が鉱石を掘り出すのに掘り進めた洞窟だ。「王子……」 剣を片手に持ち直して今にも壊れそうな梯子を上り始める。洞窟付近に群がった羽の生えた怪物たちが金切り声を出して滑空してくる。鋭いくちばしが顔に触れる寸前に剣で薙いだ。 思わず舌打ちが出たのは、一体仕留め損なったからだ。左の頬に燃えるような痛みが走り、血が滴り落ちていた。「うるさい!」 岩山の間を回旋し、もう一度鳴き声を上げながら突撃してきたところを確実に切り捨てた。 止血する間も惜しんで次の敵が出てくる前に梯子を上り続ける。洞窟が見えてきたところで、周辺に現れたフォヴォラを下から跳び上がって仕留めると、そのまま何の光も見えない洞窟の中へと入っていった。「マリク王子!」
王子の声が聞こえない。なんで──。「貴様! 王子をどうしたっ! 王子の身を守っていたんじゃないのか!?」 王子の側にいたはずの近衛兵の胸ぐらをつかむ。近衛兵は手を振りほどこうとしながらも何度も首を横に振った。「も、申し訳ありません! 今のフォヴォラの攻撃で」「くっ……他の者は!」 静寂が「NO」と答える。このままじゃ、あのときと同じになる。 私の脳裏に、思い出したくない記憶が浮かんだ。王子をこの手で──。「見ていないのか!? 誰か! 誰でもいい! フリーダにアーダン! 答えて! 王子は! 王子はどこっ!?」 誰も何も言わない。神妙な雰囲気が今の状況を間違いなく現実だと告げていた。私の手を誰かがつかんだ。「ティナと申したな。落ち着け」 イヴァンナが胸ぐらをつかんでいたままの私の手を力づくでほどいた。「落ち着けって、これが落ち着いていられるわけ──」 握ったままだった剣を構える。「ティナ! 待ちなさい!!」 フリーダの声が飛ぶも、構ってなどいられない。「待たない。王子を探す。まだ遠くには行ってないはず!」 そのとき、イヴァンナの手が私の頬をはたいた。「落ち着けと言っている。無意味な仲間割れをしている場合ではないぞ。貴重な時間が無駄になる」 頬が痛む。視界が滲む。涙が出るのは痛みからではない、恐怖からだ。マリクをまた失ってしまうかもしれない。
「王子! 無事ですか!?」「大丈夫だよ……だけど、これは」「王子は後ろへ下がっていてください! 全員王子を守れ! アーダン、フリーダは私とともに敵を迎撃する!」 勢いよく白銀の剣を引き抜くと、一足飛びに近付いて飛び上がった。両手で柄を握り締めて上段から振り下ろす。 が、硬い金属音が響き刃は返されてしまった。窓から突き出た顔に当たったもののまるで手応えがない。「ティナ! 避けて!」 張り上げた声に真横へと転がる。フリーダの分厚い炎の壁が同じく長い嘴《くちばし》のついた鳥のような顔へと命中する。続け様にアーダンが槍を真正面に構えて特攻する。「これで、どう!?」「……いや、ダメだ」 炎と黒煙が消えていくも、全く無傷の状態の様子で怪物は口を開けて咆哮した。「硬すぎる」 もう一度、剣撃を喰らわせるか。いや、効果があるのかどうか。それに敵の攻撃がまだわからない。対応を逡巡していると、ふわりと軽快な足取りで何者かが私の横へと舞い降りた。「貴公らでは埒《らち》が明かぬな。力を貸そう」「アヌ王!」「その呼び名は好きではない。気軽にイヴァンナと呼んではくれまいか」 そう言うと、王は左手を掲げた。その手に宿るのは当然、9つの神の紋章の一つ──〈大地の紋章〉。またの名を〈豊穣の斧の紋章〉。 生い茂る葉のような色鮮やかな緑の光が紋章から発せられると、自身の背丈の優に3倍を超えると思われるほどの巨大な斧が現れた。イヴァンナは、その得物を軽々と振り回すと斜めに構えて怪物と対峙した。「皆の者、今一つ我の後に続け!」 王は風のように速く移動すると、躊躇なく飛び掛かっていった。上段、中段、下段と絶え間なく斧による斬撃が浴びせられる。一打、一打、攻撃が振るわれると同時に空気が破裂するような音が生じ、見間違いかもしれないが空間が歪む。「あれが、〈大地の紋章〉……アーダン! フリーダ! 私達も追撃を!」 両者から掛け声が返ってきた。気を取り直して、剣を構えて走ると、壁を伝ってシャンデリアの上へと跳び上がる。 バルスコフ大将は自らの拳を振るって戦っていた。肉体強化型の紋章なのだろう。アーダンも再び突撃し、長い槍を繰っていた。イヴァンナも変わらず、常人には持ち上げるのも不可能と思われるほどの斧を振るっていた。 攻撃はもう何十回と当たっている。だけどそれでも突き崩せな
「……王子」 思わず後ずさりする。笑顔だけど目が笑っていなかった。「あっ、王子探してたんです! 中庭で昨日の特訓の続きを──」 フリーダは引きつった笑顔で王子の腕に触れた。なんとか王子の気を逸らそうとしているが、王子はやんわりと腕を離すと私の前に歩んでくる。 ダメだ……逃げ場はない。 マリク王子は変わらぬ笑顔のまま、私の両肩に手を置いた。「ティナ。残念だけど、君が何か隠していることには気づいていた。君のことは信じていたから、打ち明けてくれるのを待っていた」 こんな状況でも、王子の瞳は私を見つめる。胸がぐっと締め付けられるのを感じる。目を見ていられなくて、視線を逸らす。「けど、
夜半。王宮が眠りについたころ、私はローブを羽織り、音を殺して城を抜け出した。 街へ出ると冷たい夜気が肌を刺す。人気がないから石畳を踏む足音さえ、やけに大きく感じる。 向かう先は、住宅区の入口にある教会。かつて私が育った孤児院でもある。 教会は夜でも城下町に住む民のために入口の扉は開いている。中へ入ると、礼拝堂や2階につながる扉はカギが掛けられていたが、懺悔室には煌々と明かりが灯されていた。 懐かしい匂いがした。古びた木の匂いだ。王宮での生活にももう慣れたが、ここへ来るとやっぱり肩の力が抜
午後、私は懐かしの王宮の訓練場にいた。 中庭の静けさとは違い、そこでは金属音や兵士たちの掛け声が絶えず響いている。 乾いた土の匂い、汗の匂い、剣を振るうたびに巻き上がる砂。壁際では若い兵が木剣で打ち込みの練習をし、奥では近衛たちが本格的な組み手をしていた。「おっ、秘書官殿が訓練場とは珍しいな」 低い声に振り向くと、予想通りアーダンが腕を組んで立っていた。王の近衛兵長になったとはいえ、アーダンがよくここにいるという噂は本当だったよ
翌朝、早朝も早朝の王宮の中庭。王宮全体がまだ動き出す前のまだ朝露の残る芝の上に、私はマリク王子とともに向かった。「気が乗ってなさそうですね、王子」 私が声をかけると、王子は振り向いて苦笑した。「太陽の紋章を受け継いだとはいえ、争いは苦手だよ。使いこなせるかどうか……」「王子……」 いつになく弱気な王子。共感するべきか激励すべきか悩んでいたところへ、背後から朝にしてはうるさい声が